ごあいさつ
ヒストリー
そのモチベーショナルな産声が、時代を変えた・・・かどうかは知らないけれど、
菅生新の成功人生の歴史をひもとけば、輝く未来へのヒントが見えてくる!
中学・高校時代
現在のスゴーの
ルーツが育まれた
中学でも1度転校。郊外のニュータウンの中学校で、スゴーはついにベンチャースピリットの片鱗を発揮。呑気な校風を変えるべく自ら「学習委員会」を立ち上げ、勉強法や、モチベーションの上がる格言を紹介する"ガリ版刷り新聞"を編集発行。これまで進学校を受ける人もいなかった学校で、スゴーの学年からは10名近い有名進学校合格者を輩出。世に言う「スゴーの改新」である。私学名門の宗教高校に入学したスゴーは、朝礼で般若心経を唱える毎日。(現在も毎晩唱えている。)ブルース・リーの影響を受け、少林寺拳法部に入部。同時に剣道も習い始め、これが数年後、時代劇俳優としての道を切り開くキッカケとなる。また、吉田拓郎の影響でフォークギターを始め、人生ソングをシャウト。ピンク・レディーの快進撃のごとく、スゴー・ルネサンスが豊かに華開いた時代だった。
就職
トップセールス・
サラリーマンに
"大学の成績で「優」が2桁ないと門前払い"と噂されていた藤沢薬品工業株式会社の面接で、撮影所生活で得た体験を熱く語り、見事採用。のちに、藤沢薬品のリクルート用新聞広告に菅生新の俳優時代の写真が使われることとなる。「スゴー伝説」の始まりである。営業社員として、成績が1200人中トップに躍り出たかと思えば翌年には強力なライバルに阻まれ・・・と、モチベーションとストレスを極限まで上げ続ける毎日は、さながら菅生新の戦国時代。しかし、どんなセールス先でも、運命の出会い、偶然の再会が、スゴーを助け、奮い立たせた。そのドラマチックすぎるエピソードには枚挙にいとまがない。
独立
モチベーションを仕事に!
スゴー伝説のスタート
元号が平成に変わり、自らも30歳になった1989年。サラリーマン時代、オフの日も経営学などの勉強を続けていた菅生はついに独立を決意。ついでに(?)結婚も決意。営業先で出会った、とある経営者夫婦がきっかけで、世界最高の自己啓発プログラム・SMI(サクセス・モチベーション・インスティチュート)を知ったスゴーは、藤沢薬品を退社。SMIの代理店セールスを始める。師匠のポール・J・マイヤーの教えを忠実に実践し、それから2年後の1991年、そして翌年の1992年、スゴーはSMI世界大会で「セールズ世界大賞」を受賞。このころ、「愛は勝つ」「SAY YES」「どんなときも。」など、究極のモチベーショナルソングのミリオンヒットが連発されたのは、スゴーの快挙の影響だったと言われているとかいないとか。
放送ジャーナリスト
ラジオ番組
「サクセスファイター」
放送開始
大阪で、起業家のためのコンサルティング会社を設立したスゴーが、次に目指したのは放送ジャーナリストへの道。1998年、自らパーソナリティを務めるラジオ番組「菅生新のサクセスファイター」オンエア開始。毎週、若き起業家やベンチャー企業の代表、有名人・芸能人など個性的なゲストを迎え、世の中の動きや新ビジネスの可能性などを語り合うこの番組は、人気長寿番組となった。気がつけばバブルは崩壊、震災やサリンなどショッキングなニュースが日本中を不安に陥れたこの時代。21世紀へ向けてモチベーションを持ち続けて生きることの大切さを、スゴーはラジオの電波に乗せて人々の心へ届けていた。
将来の夢
未来へのモチベーションを
追い続ける!
成功とは自分が立てた目標をひとつずつ実現し続けること・・・。菅生新の夢は現状に留まらない。映画化されるような社会派小説を書いてみたい。せっかくなら、その映画製作にも携わりたい。敬愛するスティーブン・スピルバーグのように、オンリーワンの力で人々を喜ばせ感動させたい・・・。ビジネスとエンタテインメント、フィールドは変わっても、菅生新のモチベーションの原点はゆるぎない。波瀾万丈の「スゴー史」はまだまだ続くのだ。